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地方行脚

この週末、秋の人気大会のエントリーがありましたね。

推測するに、ロードレースの主催はほとんどが自治体ですので、
長年の慣例、あるいは区切りのいい日程(1日、月初の月曜日等)であろうと思います。

近年、地元の方が優先的に出場権を得られるようにしたり、
今回の奈良マラソンのように、ネットは先着、郵送での取り扱いを限定的抽選にしたり、
大会主催者側の努力(工夫)もうかがえます。

私は物事をできるだけ軟着陸させることを望む性格なので、
一方が譲歩(工夫)したら、もう一方も譲歩するのが得策のように思います。

今回、あまりにもエントリーの日時が重複するので、
当初、主催者やエントリーサイト側に他の手立てがなかったのか、と思いましたが、
大会に参加する私たちランナー側も、少し考えることがあるように思います。


書き方まちがえると批判されそうですが・・・

・必ず出たい大会に絞る(抽選も先着も)
・エントリー即入金を選択する

そして、
・地方行脚のススメ

・・・などなど、一考の余地ございませんでしょうか。

「地方」という言葉を使うと、東京が「上」というニュアンスがあり好みませんが、
この際、そこはご了承いただいて、
エントリーがタイトでない良い大会というのは全国各地にあります。
函館(ハーフ)、柏崎(フル)、鳥取(フル)・・・いずれも陸上競技場発着の公認大会で、
しっかり運営されていました。

エントリーや大会当日の大混雑を避けて、
記録狙いで一発勝負をかけるならば、とても良い作戦だと私は思います。
あれこれエントリーしたり、やみくもに出場するより、
お金もかからないかもしれません。

スマートな大会選択と出場を私は推奨いたしますし、
これからも実践してまいります。

余談ですが、手賀沼エコマラソン・・・日曜日の練習会へ行く前、エントリーが可能だったので、
久々に故郷の大会に出ようかと思いましたが、クリックをやめました。
貴重な枠を気軽に削ってはいけないと思ったからです。

大会主催者、エントリーサイト、ランナー、それぞれの歩み寄りで、
これからもランニング大会が隆盛していくことを思い描いています。

TARO

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