「食欲の秋」がとっくに過ぎたのに・・・
旺盛な食欲がとまりません(^_^;)
年末年始で胃袋を「拡張」させてしまったか(>_<)
挙句、週末、ヒザに一時違和感が生じ、
「成長痛か!」
と笑われる始末。
そんな冗談はさておき、正月のブログで少し触れた、
大学時代の同期、小林雅幸選手
(新潟・十日町高校⇒早大⇒三井海上⇒SUBARU)
から先日電話をもらいました。
彼の口から出た言葉は
「引退」
の二文字。
「もうぼちぼちだよ」
と、ここ数年語る彼の背中を見るのはとてもさびしかったですが、
ついにその日がきたんだな、と。
「マサユキ、これまで、おつかれさま」
それ以上にかける言葉はありませんでした。
そして、彼の引退レースは3月7日(日)の
「びわこ毎日マラソン」。
福岡国際マラソンと双璧をなす、数々の熱戦を繰り広げてきた伝統の大会です。
私は、もう二度と見ることのできない彼の走りを眼に焼き付けるべく、
びわこへ行くことにしました。
これも正月のブログに書きましたが、
97年の箱根駅伝を走る別の同期生を見て、胸が熱くなったときと重なります。
今から自分が心配です(^_^;)
マサユキが競技を終えることで、私の競走部時代の同期で競技を続けている人間はいなくなります。
短距離で五輪に出た土江寛裕君(城西大陸上部監督)や、メディアのスポーツ畑で働く友人を除けば、
陸上競技とはまったく関係のないところで、それぞれに「走・跳・投」、新しい人生を歩んでいます。
みんなが現役を退いていく中で、いまだランニングを続けている私がいる
というのは本当に不思議としかいいようがありません。
悲しいかな、もっとも早く競技の世界から退いた人間が
一番最後まで走り続けている。
「陸上競技とは二度と関わらない」気持ちで寮を飛び出して行った自分が、
それから10年後にランニングクラブを立ち上げ、
35歳になってもまだ走っている・・・。
人生分かりません。
結局、昔、みんなの力になれなかった分を取り戻そうという気持ちが残っているんですよね・・・。
ただ、過去にベクトルが向いていてもしょうがないので、今思うのは、
「これから何ができるか!」
ということ。
「やっぱり陸上競技が好きなんだよな」という原点に返り、
近しい陸上選手・OBだけでなく、幅広く元・現選手の力になっていきたいと考えています。
Harriersのコーチ(東京)にも、元箱根ランナーが3人(男子)、元実業団選手が3名(女子)います。
根っから走るのが好きなShinjiコーチを除けば、
おそらくみんな一度は陸上競技と訣別した経験があります。
そんな人間だからこそ、伝えられることがあるんじゃないかな、と。
私自身が金銭面で選手のサポートをすることはまだ叶いませんが、
Harriersの活動を通して、選手と社会の「潤滑油」のような役割を果たしていきたいと考えています。
大きな話になりますが、
陸上競技にかかわらず、「スポーツ」で生きてきて、指導者や評論家、学校の先生として
転身できる人は非常に限られています。
受け皿がないとみんな安心して競技を続けられないですからね。
「であれば、私が受け皿になりましょうよ」
そんな意地のような目標をもってこれからも邁進していきたいと考えています。
お世話になった競技に、過去のことは過去のこととして、
今大切なのは
「この先自分ができる恩返し」
五輪がどこで行なわれても、4年に一度、その日はめぐって来るわけで、
現場の選手と指導者はそれに向かって躍起になっている。
競技の世界と市民スポーツの世界がさらに融合して、
人の循環を生み出し、
強くて尊敬できる選手をいっぱい世の中に輩出していきたいですね。
「食欲の秋」の話がちがう話でお腹いっぱいになっちゃいましたね(^_^;)
TARO
PS.
小林雅幸選手が今週末の「都道府県対抗男子駅伝」に
故郷の新潟県の代表として出場します。
若干照れながら!?今朝電話がありました。
駅伝で無類の強さを誇った彼の駅伝ラストラン。
往年のファン必見です。
旺盛な食欲がとまりません(^_^;)
年末年始で胃袋を「拡張」させてしまったか(>_<)
挙句、週末、ヒザに一時違和感が生じ、
「成長痛か!」
と笑われる始末。
そんな冗談はさておき、正月のブログで少し触れた、
大学時代の同期、小林雅幸選手
(新潟・十日町高校⇒早大⇒三井海上⇒SUBARU)
から先日電話をもらいました。
彼の口から出た言葉は
「引退」
の二文字。
「もうぼちぼちだよ」
と、ここ数年語る彼の背中を見るのはとてもさびしかったですが、
ついにその日がきたんだな、と。
「マサユキ、これまで、おつかれさま」
それ以上にかける言葉はありませんでした。
そして、彼の引退レースは3月7日(日)の
「びわこ毎日マラソン」。
福岡国際マラソンと双璧をなす、数々の熱戦を繰り広げてきた伝統の大会です。
私は、もう二度と見ることのできない彼の走りを眼に焼き付けるべく、
びわこへ行くことにしました。
これも正月のブログに書きましたが、
97年の箱根駅伝を走る別の同期生を見て、胸が熱くなったときと重なります。
今から自分が心配です(^_^;)
マサユキが競技を終えることで、私の競走部時代の同期で競技を続けている人間はいなくなります。
短距離で五輪に出た土江寛裕君(城西大陸上部監督)や、メディアのスポーツ畑で働く友人を除けば、
陸上競技とはまったく関係のないところで、それぞれに「走・跳・投」、新しい人生を歩んでいます。
みんなが現役を退いていく中で、いまだランニングを続けている私がいる
というのは本当に不思議としかいいようがありません。
悲しいかな、もっとも早く競技の世界から退いた人間が
一番最後まで走り続けている。
「陸上競技とは二度と関わらない」気持ちで寮を飛び出して行った自分が、
それから10年後にランニングクラブを立ち上げ、
35歳になってもまだ走っている・・・。
人生分かりません。
結局、昔、みんなの力になれなかった分を取り戻そうという気持ちが残っているんですよね・・・。
ただ、過去にベクトルが向いていてもしょうがないので、今思うのは、
「これから何ができるか!」
ということ。
「やっぱり陸上競技が好きなんだよな」という原点に返り、
近しい陸上選手・OBだけでなく、幅広く元・現選手の力になっていきたいと考えています。
Harriersのコーチ(東京)にも、元箱根ランナーが3人(男子)、元実業団選手が3名(女子)います。
根っから走るのが好きなShinjiコーチを除けば、
おそらくみんな一度は陸上競技と訣別した経験があります。
そんな人間だからこそ、伝えられることがあるんじゃないかな、と。
私自身が金銭面で選手のサポートをすることはまだ叶いませんが、
Harriersの活動を通して、選手と社会の「潤滑油」のような役割を果たしていきたいと考えています。
大きな話になりますが、
陸上競技にかかわらず、「スポーツ」で生きてきて、指導者や評論家、学校の先生として
転身できる人は非常に限られています。
受け皿がないとみんな安心して競技を続けられないですからね。
「であれば、私が受け皿になりましょうよ」
そんな意地のような目標をもってこれからも邁進していきたいと考えています。
お世話になった競技に、過去のことは過去のこととして、
今大切なのは
「この先自分ができる恩返し」
五輪がどこで行なわれても、4年に一度、その日はめぐって来るわけで、
現場の選手と指導者はそれに向かって躍起になっている。
競技の世界と市民スポーツの世界がさらに融合して、
人の循環を生み出し、
強くて尊敬できる選手をいっぱい世の中に輩出していきたいですね。
「食欲の秋」の話がちがう話でお腹いっぱいになっちゃいましたね(^_^;)
TARO
PS.
小林雅幸選手が今週末の「都道府県対抗男子駅伝」に
故郷の新潟県の代表として出場します。
若干照れながら!?今朝電話がありました。
駅伝で無類の強さを誇った彼の駅伝ラストラン。
往年のファン必見です。
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