スキップしてメイン コンテンツに移動

夏から秋へ

8月5日に富士登山駅伝に出場。
ロンドンへ発ったのが8月8日。帰国が14日の早朝。
その週末にHarriersの車山高原合宿があり・・・
そうこうしているうちに、9月に入ってしまいました(^_^;)

だいぶ時間が経ってしまいましたが、
ぼちぼち8月を振り返っていきたいと思います。

【ロンドン五輪】

Athletics(陸上トラック競技)は大人気で、
現地でチケットを入手するのは不可能でした。
というわけで、ボルト選手らの男子200mはパブで観戦(^_^;)

公式マスコット、「ウエンロック」。
街中にさまざまな「ウエンロック」がありました。
不人気キャラで名をはせましたが、
たしかに五輪ぽくない感じはしましたね。


Tower Bridge

毎年4月のロンドンマラソンでは、Tower Bridgeが20km付近。
テムズ川を渡るたびに、いろいろな思いが頭をよぎり、
涙がこみ上げます。

ちょうど船が通過するタイミングで、道路も五輪マークも上がりました。

ロンドン郊外にあるRichmond Park。
1周11kmのロード&不整地コースなどがあります。
ランナーやロードバイクのトレーニングのメッカ。

鹿に遭遇。

男子マラソン当日。正面にビッグベン。
ランナーが何度も通るポイント。

朝早くから場所取りする人が多く見られました。

がんばってました!

給水ポイント。


山本選手の応援団。

パンを無料配布してました。

狭いアーケード、石畳の路面などが話題になった
レデンホールマーケット。


ロンドンでおなじみの
ガーキンビル。

ちがうアングルから。
レデンホールマーケット。

ケニア代表の応援団。
レース前からだいぶ盛り上がっていました。

男子マラソンの上位集団。

TARO

コメント

このブログの人気の投稿

疲労回復に!

『ランナーズ9月号』(7月22日発売)に掲載されました。 水素水の広告ページです。 http://www.carry-h.com/     ちなみに、取材を担当してくださったのは、元上司!(感謝☆) 中島カメラマン(写真)と久々に再会しました(^-^)    TARO

相澤義和という男

春から約半年にわたってHarriersでコーチを務めてくれた 相澤義和コーチが、愛媛県のトライアスロン実業団チームのコーチ就任が決まり、 しばらくHarriersから離れることになりました。 新所属先の方には怒られそうですが(^_^;) 近い将来また一緒にやれることを希望しているのは、 私をはじめ、コーチ、会員にたくさんいます。 とはいえ、当面、 今晩の練習会が「ラストラン」。 あいにくの雨模様でしたが、お集まりいただいた会員のみなさんと、 相澤コーチに感謝しながら走りました。 相澤コーチと会員さん Harriersの「革命児」=「相澤コーチ」と念願の!?ツーショット 会員のみなさんには、あえて今日まで相澤コーチの件はお伝えしておらず 心苦しかった面もありましたが、 私自身、今日が来なかったら・・・という思いがずっとありました。 新しい息吹と方向性を示してくれたのはまちがいありません。 その思いを発展させ、次に帰ってきた時に進化しているのが 最大の恩返しだと今は気持ちを切り替えています。 新天地での活躍を祈りつつ、また将来、いろいろやり合えるのを心から待ち遠しく思っています。 ありがとうございました。 そして、See you soon! 「最後」ではないので、コーチ陣だけでこじんまりと壮行会を行ないました TARO

スターの引退

「食欲の秋」がとっくに過ぎたのに・・・ 旺盛な食欲がとまりません(^_^;) 年末年始で胃袋を「拡張」させてしまったか(>_<) 挙句、週末、ヒザに一時違和感が生じ、 「成長痛か!」 と笑われる始末。 そんな冗談はさておき、正月のブログで少し触れた、 大学時代の同期、小林雅幸選手 (新潟・十日町高校⇒早大⇒三井海上⇒SUBARU) から先日電話をもらいました。 彼の口から出た言葉は 「引退」 の二文字。 「もうぼちぼちだよ」 と、ここ数年語る彼の背中を見るのはとてもさびしかったですが、 ついにその日がきたんだな、と。 「マサユキ、これまで、おつかれさま」 それ以上にかける言葉はありませんでした。 そして、彼の引退レースは3月7日(日)の 「びわこ毎日マラソン」。 福岡国際マラソンと双璧をなす、数々の熱戦を繰り広げてきた伝統の大会です。 私は、もう二度と見ることのできない彼の走りを眼に焼き付けるべく、 びわこへ行くことにしました。 これも正月のブログに書きましたが、 97年の箱根駅伝を走る別の同期生を見て、胸が熱くなったときと重なります。 今から自分が心配です(^_^;) マサユキが競技を終えることで、私の競走部時代の同期で競技を続けている人間はいなくなります。 短距離で五輪に出た土江寛裕君(城西大陸上部監督)や、メディアのスポーツ畑で働く友人を除けば、 陸上競技とはまったく関係のないところで、それぞれに「走・跳・投」、新しい人生を歩んでいます。 みんなが現役を退いていく中で、いまだランニングを続けている私がいる というのは本当に不思議としかいいようがありません。 悲しいかな、もっとも早く競技の世界から退いた人間が 一番最後まで走り続けている。 「陸上競技とは二度と関わらない」気持ちで寮を飛び出して行った自分が、 それから10年後にランニングクラブを立ち上げ、 35歳になってもまだ走っている・・・。 人生分かりません。 結局、昔、みんなの力になれなかった分を取り戻そうという気持ちが残っているんですよね・・・。 ただ、過去にベクトルが向いていてもしょうがないので、今思うのは、 「これから何ができるか!」 ということ。 「やっぱり陸上競技が好きなんだよな」という原点に返り、 近しい陸上選手・OBだけでなく、幅広く元・現選手の力になっていきたいと考えています。