スキップしてメイン コンテンツに移動

【ご報告】Truth in Boston <その1>

EXPOは大にぎわい
(写真はナンバーカードを交換するところ)。
 
今回のBoston Marathonについて、感じたこと、考えたこと、等々、
2回に分けてまとめてみたいと思います。
 
-------------------------------------------------------------------------------
 
知っているようで知らなかったBoston Marathon。
初めてこの大会の名前を聞いたのは、30年ほど前。
父と同じ会社に勤める方が毎年走っていると聞いた。
私はまだ野球少年。
晩年の江夏豊がメジャーリーグ(※)に挑戦する姿に感銘を受けたが、
マラソンに関しては、それが42kmであることすら知らなかった
(※水色のNew York Metsと記憶していたが、Milwaukee Brewersだったよう)。
 
それから月日が流れ、ようやく巡ってきたチャンス。
2013年。
前年(2012年)の9月、軽い気持ちでエントリー。
その後、12月の福岡国際、2月の別府大分マラソンを凡走。
気持ちは固まった。
シーズンラストチャンスは『Boston Marathon』。
が、ひと月前に右の臀部から膝裏にかけてを故障。
歩くのも痛い状況で、あっけなく断念。
その痛みは1年経っても続いているが、ATR半蔵門のトレーナーのおかげで、
なんとか走れている。
【Lexington】
アメリカ独立戦争の発端となった町。
この日(1775年4月19日)を記念して、『Patriots' Day』が制定され、
Boston Marathonが毎年この時期に行われるようになった。
 
今年の『Patriots' Day』はただのそれではなかった。
昨年のテロ事件を受けて、警戒体制が強化。
「我々は屈しない」
という強い姿勢が感じられた。
そんな特別な大会に、私も静かに同調。
ランナーに配布されたリストバンドを装着して、さぁ、号砲。
初めて出場する大会ゆえに、目に飛び込む光景は新鮮そのもの。
が、止むことのない起伏に、ほどなく景色を見る余裕が消失。
「レース」から早々に外れた私は、久しぶりに、長い時間を、
肉体的苦痛と、精神的葛藤とともに過ごすことになった。
 
ランニングチームを主宰する私が意識するのは、「良質な大会」を発掘し、紹介すること。
大変おこがましいが、118回を誇る大会を評価してみた。
 
<記録>
「難しい」というのが率直な感想だ。
理由の第一は「起伏」。
国際陸連が「ダウンヒルコース」としているため、世界最高タイムも参考記録扱い。
「下り坂が多いなら記録を望めるかも」という期待はまったく逆。
容赦ない下り坂が脚をつぶす、と言っても過言ではない。
 
<スタートブロック>
公式タイム順にWAVEが1~4に分けられ、30分毎にスタート(第1WAVE:10時00分スタート)。
さらに各WAVEは1~9のCORAL(ブロック)で分けられているため、適正な位置からスタートができる。
 
<天候>
日本同様、春の気温は予測が難しい。
今年は、到着後しばらくは日中でもマフラーがほしい天候だったが、
レース当日は水をかぶるくらい気温が上がった。

 
 
大会を協賛しているadidasのブースでは、
『boost』搭載シューズのPRが行われていた。
--- (つづく) 

TARO

コメント

このブログの人気の投稿

疲労回復に!

『ランナーズ9月号』(7月22日発売)に掲載されました。 水素水の広告ページです。 http://www.carry-h.com/     ちなみに、取材を担当してくださったのは、元上司!(感謝☆) 中島カメラマン(写真)と久々に再会しました(^-^)    TARO

相澤義和という男

春から約半年にわたってHarriersでコーチを務めてくれた 相澤義和コーチが、愛媛県のトライアスロン実業団チームのコーチ就任が決まり、 しばらくHarriersから離れることになりました。 新所属先の方には怒られそうですが(^_^;) 近い将来また一緒にやれることを希望しているのは、 私をはじめ、コーチ、会員にたくさんいます。 とはいえ、当面、 今晩の練習会が「ラストラン」。 あいにくの雨模様でしたが、お集まりいただいた会員のみなさんと、 相澤コーチに感謝しながら走りました。 相澤コーチと会員さん Harriersの「革命児」=「相澤コーチ」と念願の!?ツーショット 会員のみなさんには、あえて今日まで相澤コーチの件はお伝えしておらず 心苦しかった面もありましたが、 私自身、今日が来なかったら・・・という思いがずっとありました。 新しい息吹と方向性を示してくれたのはまちがいありません。 その思いを発展させ、次に帰ってきた時に進化しているのが 最大の恩返しだと今は気持ちを切り替えています。 新天地での活躍を祈りつつ、また将来、いろいろやり合えるのを心から待ち遠しく思っています。 ありがとうございました。 そして、See you soon! 「最後」ではないので、コーチ陣だけでこじんまりと壮行会を行ないました TARO

スターの引退

「食欲の秋」がとっくに過ぎたのに・・・ 旺盛な食欲がとまりません(^_^;) 年末年始で胃袋を「拡張」させてしまったか(>_<) 挙句、週末、ヒザに一時違和感が生じ、 「成長痛か!」 と笑われる始末。 そんな冗談はさておき、正月のブログで少し触れた、 大学時代の同期、小林雅幸選手 (新潟・十日町高校⇒早大⇒三井海上⇒SUBARU) から先日電話をもらいました。 彼の口から出た言葉は 「引退」 の二文字。 「もうぼちぼちだよ」 と、ここ数年語る彼の背中を見るのはとてもさびしかったですが、 ついにその日がきたんだな、と。 「マサユキ、これまで、おつかれさま」 それ以上にかける言葉はありませんでした。 そして、彼の引退レースは3月7日(日)の 「びわこ毎日マラソン」。 福岡国際マラソンと双璧をなす、数々の熱戦を繰り広げてきた伝統の大会です。 私は、もう二度と見ることのできない彼の走りを眼に焼き付けるべく、 びわこへ行くことにしました。 これも正月のブログに書きましたが、 97年の箱根駅伝を走る別の同期生を見て、胸が熱くなったときと重なります。 今から自分が心配です(^_^;) マサユキが競技を終えることで、私の競走部時代の同期で競技を続けている人間はいなくなります。 短距離で五輪に出た土江寛裕君(城西大陸上部監督)や、メディアのスポーツ畑で働く友人を除けば、 陸上競技とはまったく関係のないところで、それぞれに「走・跳・投」、新しい人生を歩んでいます。 みんなが現役を退いていく中で、いまだランニングを続けている私がいる というのは本当に不思議としかいいようがありません。 悲しいかな、もっとも早く競技の世界から退いた人間が 一番最後まで走り続けている。 「陸上競技とは二度と関わらない」気持ちで寮を飛び出して行った自分が、 それから10年後にランニングクラブを立ち上げ、 35歳になってもまだ走っている・・・。 人生分かりません。 結局、昔、みんなの力になれなかった分を取り戻そうという気持ちが残っているんですよね・・・。 ただ、過去にベクトルが向いていてもしょうがないので、今思うのは、 「これから何ができるか!」 ということ。 「やっぱり陸上競技が好きなんだよな」という原点に返り、 近しい陸上選手・OBだけでなく、幅広く元・現選手の力になっていきたいと考えています。