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マラソン考

(フル)マラソンについて思いを巡らせた週末でした。

日曜日、勝田マラソン(茨城県)へ行き、
Harriersの会員のみなさんのサポートをさせていただきました。
そして、夜、録画しておいた大阪国際女子マラソンを観ました。

勝田では、身近なみなさんがそれぞれの目標に向かって走る姿に、
「マラソンって、長くて苦しいけど、見ている人に勇気をくれる」
と感じました。
私自身も走る意欲を喚起されました。

大阪では、「走りの芸術」「走りの美の競演」を見た気がします。
一般参加のランナーを含め、力のあるランナーが真剣に
街を駆け抜けていく様は、本当に見応えがありますね。
トップの選手の動向はもちろん気になりましたが、
同じ土俵で、同じ時計を刻みながら走る市民ランナーの走りを、
ほとんど画面には映らないけど、想像しながら観ると、
一層わくわくしました
(しかも、VTRだから会員、コーチの結果は分かっていても)。

生半可な気持ちでは走り切ることがままならない、42.195km。
万全と思っても結果が出ないのが、フルマラソン。
反省と悔恨。

一方で、その人の走りが他人に勇気を与えたり、
自分自身が生きる光明を見出したり、
良いこともたくさんあります(^-^)

大切なのは、
さまざまな事、人に対して、
「走らせてくれてありがとう」
という感謝の気持ち。

走っているときは「個」であり、孤独でも、
上空から見れば、
一本のたすきのように連なっていますね。

寒風ふきすさぶ中、ボランティアの高校生でしょうか、
靴を濡らしながら、献身的に給水サポートをしていたのが印象的です。

雪かきして小山になった雪が出迎えてくれました(^_^;)
実家にて。
都心より明らかに寒い。
 TARO

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