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Message From Jason Lawrence


*Photo by Koichi-san


ジェイソンコーチからみなさんへメッセージが届きました!
(英語と日本語は同じ内容です。原文まま)
相変わらずなキツイJokeもありますが・・・(^_^;)
お楽しみください。

“The marathon is my only girlfriend. I give her everything I have”
Toshihiko Seko

This has been the vision I have shared since arriving in Japan. I wish I was fast enough to become a professional marathon runner. Unfortunately, it wasn’t to be my destiny.
When I arrived in June 2003, I was fresh graduate and I couldn’t speak or read Japanese, the chance of me finding an ideal job was very little. I knew I loved running and that’s what I focused on. It sounded like a great lifestyle, training in the morning and coaching in the evenings and on the weekends. However I lost my balance. Running became three quarters of the pie (Miki was the other quarter). I remember running well in university when I was so busy – I had my study, part time work, my hobbies (dance, guitar, and design) and of course my family. Running was only a slice of the pie. That was a great life balance for me. Of course, life is great when training and racing is going well, but what happens when you get injured? I become worried and because I have more free time I stress about how I am suppose to support my family in the future.
This year I have decided to take action and regain some balance in my life. I was an international business management major at university and it is something I am very interested in. Singapore could be the ideal place to make this fresh start, and who knows – maybe I do a great job, become head hunted by a big Japanese firm and end up in Tokyo again. If not - well, I could always take over as President of Harriers. What about Taro? He could become vice-president, perhaps I will fire him.
Before I end this blog post, I would like to thank everyone at Harriers for making June 20th, 2009 such a special day for me. It’s something I will never forget. We all tried our best as competitors in the Jason Cup and then shared good times in the evening. Come to Singapore and stay with us anytime.
For your kindness and friendship, I want to thank you very much.

*Photo by Tomoko-Coach


“The marathon is my only girlfriend. I give her everything I have”
Toshihiko Seko
日本に来てから彼のこの言葉に強く共感するようになりました。僕もプロのマラソン選手になれたら最高でしたが、残念ながらその運命にはありませんでした。
2003年の6月、大学を卒業してすぐ日本に来た僕は、日本語が全くできなく理想の仕事につく機会がありませんでした。そんな時、太郎と出会うことができました。走ることが大好きなの僕にとって、朝自分のトレーニングができて午後と週末コーチとして働けることがすばらしいライフスタイルと感じていました。しかし、しばらくして生活のリズムが悪くなってきていると感じるようになりました。パイの3/4がランニングになっていました(残りの1/4はミキでした)。大学生の時、勉強やアルバイト、趣味(ダンス、ギター、デザイン)、また家族のことなどで忙しい中とても良い走りができていたことを覚えています。その時の練習はパイの1スライスほどでしたが、それが僕にとって良い生活のリズムでした。最近では生活のほとんどがトレーニングで調子が良い時は最高ですが、怪我をしたり調子が悪い時は暇な時間が増え将来のことや家族をどう支えていくのかなど考え、心配になってしまうのです。
今年は生活のリズムを整えるため、行動に出ることに決めました。大学では国際ビジネスマネージメントを専攻していて今でも興味があります。この新しい一歩を踏み出すにはシンガポールは理想の場所だと思います。頑張って働けばもしかしたら日本の大企業にヘッドハンティングされてまた東京に戻ってくるかもしれないし、もし無理だったらその時はハリアーズの社長になるために戻ってきます。太郎は?…そうですね、副社長になってもらうかもしくは僕がくびにします。
最後に、2009年6月20日を特別な日にしてくれたハリアーズの皆様に感謝しています。一生忘れることのない一日になりました。ジェイソンカップではみんながんばりましたし、夜は思い出話などで盛り上がりました。皆さんシンガポールに遊びに来てください、その時はぜひ僕たちの家に泊まってください。
今まで親切にしてくれてありがとうございました。

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