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思い

どちらかと言うと、

「奇跡は起きないから奇跡と呼ぶ」

と考えるほうなので・・・

長野マラソン当日、

起床時、
違和感=「弱」

現地到着時、
違和感=「弱」

ウォーミングアップ時、
違和感=「弱」

このときは、一瞬、
「奇跡」という言葉が浮かびました。

ということで、このとき、スタートラインに立つことを決めました。


正直、水曜日の段階では、
ハムストリングに残るうっとうしい痛み(>_<)が
雨雲に覆われた空のように広がっていました。
走る前から30km位走ったような感覚です。

このときの感覚を思い出すと、
ウォームアップで、一歩一歩確認しながら走り出して、
400mトラックを1周、2周・・・と回っても
違和感が増さなかったことが信じられません。
うれしくてレースペースより速いペースで7周位駆け回りました。


長文になりますが・・・

なぜ今回出走にこだわったかと言うと、

Harriersの会員で、この日のために人一倍努力をしていた方が
(もちろん、ほかのみなさんも人知れず努力を積んでいましたが)
楽しみにしていた長野マラソンに出場できなくなり、
自分には何もできませんが、
こうして出たくても出られない人の気持ちになって、
最後まで出走をあきらめないことを心に誓っていました。

だれかのために、
脚がおかしくなっても
42kmを走る、
なんてことは、
空想かと思われてしまうかもしれませんが、
正直、東京マラソンを4週間前に走った身としては、
それ以外のモチベーションはありませんでした。
厳密に言うと、長野マラソンは即日Entryが締め切られた人気大会なので、
自分の出場権を無駄にしてはいけない、
という思いも同時にありました。


走り出してからの脚の異変とか、それに伴う心境の変化云々は
書き出したら原稿用紙100枚くらい必要になるので割愛します(笑)。

とにかく、 走っている最中、
きょう自分が走る意味と、
走ることができたことに対する感謝と喜び、
きょうの走りをいかにして次の大会や
ランニングとともに歩んでいく人生につなげていくか、
そんなことを頭の中でぐるぐるめぐらせながらの
42.195kmでした。

東京マラソンでは、自分とは関係なく刻まれる「時計」(タイム)との闘いでした。
長野マラソンは、自分自身の肉体の叫びに精神力が僅差で押さえ込んだ感じです。

そして・・・ タイムを追って達成したときとはちがう、穏やかな春風のようなものが心にのこりました。

フィニッシュの長野オリンピックスタジアム。
ゴールしてみてあらためて暑かったことを実感しました。

長野にきて信州そばは欠かせませんね。疲労した内臓に優しく入っていきます。


太陽が全開。レース後、温泉で「ランシャツ焼け」しているのに驚きました。
もちろん、腕は「時計焼け」(写真)。



TARO

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