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スポーツブランドの歴史に学ぶ



ドイツから帰るFlightで書きためたBlogを
日本でさらに熟成させてしまいました(^_^;)
興奮冷めやらぬ!?まま一気に書いていますから
どうかと思いましたが、せっかくなのでUPしたいと思います。

adidasドイツ本社勤務のKohei-sanから、
「Harriersで来年ココで合宿やったらいいよ!」
と言っていただきましたが、
真に受けて本当に行きたいと考え始めています。
それだけ影響を受けるものがたくさんある所だと思います。

いざ、「ヘルツォーゲンアウラッハ」へ!


以下、樽から取り出してきた原稿です。


adidasの社内誌の「はしがき」にこんなくだりを見つけた。
Adolf `Adi` Dassler(写真銅像)のことを以下のように書いています。

His vision was to provide the perfect equipment to every athlete.
Nothing more, nothing less.

どこかで聞いたような言葉だな、と思ったら、
Kohei-sanとヘルツォーゲンアウラッハで話していたときのことだ。

「本当にアスリートのためのシューズを作りたい」

60年前の靴職人のDNAがはるか海を越え日本の青年の情熱をかき立てる。
彼の情熱が日本だけでなくグローバルに広がっていく。
Kohei氏が尽力した日本発の「adizero」が世界中に浸透しつつあるのは
世界陸上のマラソンの着用率を見れば明らか
(銀メダルの尾崎さんは「アディゼロPRO」でしたね)。

「机上の計算をしていても始まらん。やってみなわからん。やってみようよ」
(関西弁?博多弁?Kohei弁?)

言葉を介さなくても彼のそんな声が聞こえてくるようだ。
同感だ。

今回、ドイツ(ベルリン、ヘルツォーゲンアウラッハ)へ来て、
たくさんの思い出や考え事、アイディアが去来したが、
ひとつは
「初心を忘れてはいけない」
ということ。

Harriers立ち上げ前、5年前にイギリスへ渡ったときのことを思い出した。
ドイツの片田舎が滞在先のエクセター(イギリス南西部)に似ていたこともある。
それ以上に、共通の目的に向かって、ものすごい情熱を持っている人たちにたくさん会えたことが5年前を思い出させた。

失礼だが、エクセターでは、走ったり投げたり飛んだ跳ねたりが大好きだけど、
パフォーマンスが低くてお金がない人が多かった。
私もそのひとりだった。
ドイツで再会した人、初めて出会った人は、経済的にはゆとりがあるが、
仕事に対して非常にハングリーで、また職人気質なところがあり、
自分の関わる仕事、スポーツ、アスリートに対しての愛情がものすごく大きかった。

ルドルフ・ダスラーとアドルフ・ダスラーの兄弟が袂を分けて誕生したアディダスとプーマが、
いまだに関係する社屋が川を隔てて建ち並ぶ様子を見て、
創業者たちの情熱やプライドと、現在会社を預かる人たちの重責を感じることができた。

Adi Dasslerが礎を築き60年を迎えたadidasと比べようなんてめっそうもないこと。
adidasはひとり一人の情熱のリレーが世界に誇るプロダクトとアスリートを生み出し、
半世紀を超えるグローバル企業へと成長した。

わたしたちも休んでいるひまはない。
陸上のスパイクからスタートしたadidasのプロダクトが多岐に及んでいるように、
今のポジションに安穏とせず、前へ前へランニングというフィールドを軸に歩んでいきたい。

いつも献身的に支えてくれているコーチ陣とともに、
Harriersを通して生きる喜びを感じていただける方々を増やしていこう!

We are Runners.
We love people and atmosphere that are involved in Running World.



TARO

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