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1秒の重み

元日の「ニューイヤー駅伝」同様、
2日、3日の「箱根駅伝」でも「1秒の重み」を
感じさせられましたね。

早稲田大学の優勝は、OB会メンバーとして
純粋にうれしいです。

駅伝の醍醐味、駅伝に大切なもの、
そういったものをあらためて見せつけられました。

昔話になりますが、
前回の優勝が1993年。
ちょうど現在の渡辺康幸監督が1年生。
そして、今年、監督として初めてつかんだ栄誉。
本当に格別だと思います。

93年の箱根駅伝優勝は、入学が決まっていた私にとって、
まだ遠い世界の話のように眺めていたように思います
(正直、あまりそのときの記憶がありません(>_<))

ただ、想像の部分が大きいですが、
当時も今年も4年生の存在感が大きかったように感じます。
高校時代からエリート街道を歩んできた選手と、
下から這い上がってきた学生がかみ合ったとき、
早稲田大学はチーム力を発揮できるんだなと思いました。
時代が変われど・・・ですね。

優勝の味を知らない初代のOBとして、
「これを箱根駅伝で勝ったときに味わえるんだな」
ということをまざまざと見せつけられました。
そして、18年間、早大競走部に重くのしかかってきた
優勝のプレッシャーから解き放たれた瞬間なのでは、
と思います。

これで過去のことにまったくとらわれる必要がなくなったので、
渡辺監督も現役の学生も、伸び伸びと
「早稲田新時代」を築いていってほしいと思います。

また、脚光を浴びる選手以外の学生にも、
くさらずに貴重な時間を全力で生き抜いてほしいです。


「箱根の借りは箱根で返す」
とよく言われますが、
出られなかった学生も、
「箱根の借り=箱根に出られなかった悔しさ」を
「箱根で返す=箱根に出られるように努力を継続する」

と、考えられたらと思います。

そして、どんな立場でも
チームの1秒のために、なにか自分の役割を見出すこと。

それは大学4年間にしかできないことです。

TARO

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